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第251話 地図の赤い印

Author: 花柳響
last update publish date: 2026-10-09 06:00:59

 自分の言葉が、少しずつ乱れていく。

 ぬるい水の重さが、紙コップ越しに手の中に残った。

「でも、それをやったら、また私が悪者になる。康生さんは、きっとそういう絵を待ってる」

 律は、私の言葉を遮らなかった。

 車椅子の上で、ただ静かにこちらを見ている。

「……嫌ですね」

 私は小さく笑った。

 笑い声にはならなかった。

「怒り方まで、相手に選ばされそうになるの」

 律の目が、わずかに細くなる。

「だったら、今のまま言ってください」

「今のまま?」

「きれいに直さずに。こちらで記録します」

「怒ってることまで?」

「必要なら、そのまま記録します」

 一瞬だけ、息が抜けた。

 高瀬さんがノートを一度、こちらへ向けた。

「発言のまま残します。手続きを飛ばさなかったことも」

「……そこまで書くんですか」

「書ける範囲で」

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     自分の言葉が、少しずつ乱れていく。 ぬるい水の重さが、紙コップ越しに手の中に残った。「でも、それをやったら、また私が悪者になる。康生さんは、きっとそういう絵を待ってる」 律は、私の言葉を遮らなかった。 車椅子の上で、ただ静かにこちらを見ている。「……嫌ですね」 私は小さく笑った。 笑い声にはならなかった。「怒り方まで、相手に選ばされそうになるの」 律の目が、わずかに細くなる。「だったら、今のまま言ってください」「今のまま?」「きれいに直さずに。こちらで記録します」「怒ってることまで?」「必要なら、そのまま記録します」 一瞬だけ、息が抜けた。 高瀬さんがノートを一度、こちらへ向けた。「発言のまま残します。手続きを飛ばさなかったことも」「……そこまで書くんですか」「書ける範囲で」「……本当に事務的ですね」「よく言われます」 少しだけ息が抜けた。 私たちは榊邸へ戻った。 すぐに書斎で情報整理が始まる。療養院の受領控え、警備委託会社の通過記録、搬送会社の事業者名、KMS系列との資本関係。 机に並んだのは、どれも正式に取れた資料だけだった。薄い。腹が立つくらい薄い。私は一枚目の受領控えをもう一度めくった。 夕方になって、情報管理部の主任から追加の報告が入った。「搬送車両のナンバー下四桁と、首都高の通過情報に一致する可能性があるデータが出ました。ただし、直接照会じゃありません。業務提携先の有料道路管理システムに残る法人車両の利用履歴の一部です」「使えますか」 私が訊くと、主任はすぐには頷かなかった。「現時点では、参考情報です。証拠として使うには、正式照会が必要です」「場所は」 律が訊いた。 主任は画面を切り替えた。 地図上に、一本の線が出る。 青嶺療養院から都心方面へ向かった

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     受付職員の言葉は、ロビーの明るさに似合わないほど冷たく聞こえた。 面会許可書の端が、手の中でさらに曲がった。 実際には、丁寧だったのだと思う。 声を荒らしたわけでも、追い返すような言い方をしたわけでもない。けれど、丁寧な言葉で閉じられた扉ほど、外からは開けにくい。 私は手の中の面会許可書を見た。 昨日の日付。 施設側の部署名。 面会時間。 そこには、確かに今日の十時と書かれている。「病室を移られた、っていうのは、施設内の病棟移動ですか。それとも転院ですか」 高瀬さんは声を崩さずに確認した。 職員は一度、奥の事務室を振り返った。 カウンターの向こうに、もう一人、年配の職員がいる。こちらの会話を聞いているが、出てこようとはしない。「詳細については、お答えできません」「面会許可が出てた相手に対しても、ですか」「個人情報になりますので」 想定通りの返答だった。 想定していた返答でも、面会許可書を持つ手は強張った。 個人情報。医療上の判断。本人の安全。 聞き慣れた言葉ばかりだった。「では、こちらを文書で受け取ってください」 高瀬さんは鞄から封筒を取り出した。「本日の面会許可に基づき来訪した事実、対象者が予定時刻前に施設外へ移されたと説明を受けた事実、対象者本人の安全確認と、転院または移送に関する記録の保全を求める通知です」 職員の顔が、少しだけ強張った。「少々お待ちください」 彼女は封筒を受け取らず、奥へ下がった。 ロビーに残された私たちは、ソファにも座らなかった。 壁には、季節の花の写真が飾られている。入院患者の作品なのか、廊下の奥には水彩画も並んでいた。柔らかな色ばかりだった。 その中で、私は面会許可書の折れた端を親指で押さえていた。「朝霧さん」 律が、横から声をかける。「立っています」「立っていられますか」「今それを訊かれると、少し悔しいです」「では訊き方を変え

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     午前二時過ぎ。  私を捨てた父が、コンビニのレジの前に立っていた。 「栞、少し付き合え」  自動ドアが閉じる。外の湿った夜気が途切れ、店内には揚げ物の油と、温めすぎたおでんの匂いだけが残った。  夜勤の店員は私一人。レジ横のホットスナックケースが、じり、と小さく音を立てている。  如月隆一。  如月グループの代表で、かつて私が父と呼んでいた人。  三年前、私を家から追い出した男だ。  私はバーコードリーダーを静かに置いた。薄い手袋越しの指先が震えている。それが、何より腹立たしかった。 「……何の御用ですか」 「話がある」 「申し訳ありません。雑誌と公共料金のお支払いでし

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